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好きにならずにはいられない

好きなサッカーチーム、Mainz、ジェフ市原・千葉を中心に、ブンデス、J1の試合について綴っています。チーム愛より監督愛の方が強いかも・・・。

ドイツ国外へ移籍すること

90年代前後は、ドイツの選手はセリエAにかなりの数の選手が移籍したものだった。
ACミランにはいなかったが、ユーべにはメラー、コーラー、ロイター。インテルには、クリンシ、マテウス、ブレーメ、ザマー。
ローマにはフェラー、ヘスラー、ラツィオに(トーマス)ドル、リードレ。フィオレンティーナにエッフェンベルク、ハインリッヒ。
思いつく限りでこんな感じ。資料は野田の家にあるので、記憶が頼り。ただし、 全員が同時期にそのクラブに所属していた訳ではないです。あくまで、1990年前後(87ー94年くらい)の話。
代表選手のほとんどは、セリエAに所属していたのではないだろうか。オレのボドちん以外は。
代表を頑なに拒んだ選手なら1人知ってるが。反逆の天使こと、シュスター(ケルン、バルサ、マドリー、アトレティコ、レヴァークーゼン。はっきり言って、フィーゴも真っ青の素晴らしい経歴でしょ)。
もちろん、90年W杯イタリア大会で西ドイツが優勝したことも、セリエA移籍に拍車をかけたことも確か。
その頃の基準だと、国際大会においてのレベルは、W杯>チャンピオンズカップ>ユーロといったところ。
ユーロを他のヨーロッパ諸国が重要視し出したのは、96年イングランド大会から。
チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)にしても、国内リーグ優勝の次に重要、というくらい。
クラブが本気でチャンピオンズカップに本腰を入れ始めたのは、レギュレーションが変わり、文字通り「チャンピオンズリーグ」という名称に変更になってから。
それとともに、獲得賞金の金額も上がり始めた頃だったと記憶する。
そして、かの「ボスマン判決」後、それは一層顕著になった。
uefaランキング上位国は、国内リーグ優勝クラブ以外でも参加出来るようになり、97ー98シーズンから、2チームが出場するようになった(これは各国の上位チームだけでリーグを構成しようとする、スーパーリーグに対し、uefaが妥協というか、提案した案)。

そういう環境の変化の中で、この世の春を謳歌していたセリエAと、ブンデスリーガは、徐々にサッカーのレベルとランクを下げ始め・・・というのは周知の事実ですが。
ドイツの場合は、国内における環境の激変も一因。西ドイツに東ドイツが組み込まれた形になり、サッカー以外の社会環境も変わった。自らのレベルが下がった事に気づいたのは98年W杯の敗戦だが、思い知らされたのが00年ユーロの惨敗。これを機に徹底的な改革を行い、その成果が今出て来ている状態。
イタリアは、高い年俸で、特に東欧の選手を安い価格で獲得した(ソ連崩壊まで、東欧の選手の国外移籍は30歳をこえないと認められなかった)ことで、90年代に他を圧倒する強さを持っていたが、それをボスマン以降、他国もやるようになり、イタリアの選手はプレミアリーグへ移籍しプレミアリーグのクラブがイタリアの選手を買い始め(チェルシーが先陣を切り、ベンゲルが就任したアーセナルが追随した。ベンゲルはイタリアではなく、フランスの選手だが)、国内リーグのレベルが落ち始めた。

で、今はスペイン、イングランドのリーグのランクが上なのは、これまた周知の事実。ドイツが上位を虎視眈々と伺っている。


ここまでが前ふり。
長いわ~。さだまさしのトークかよ。



さて、タイトルのドイツ人選手の国外移籍ですが。
数年前なら、オレはプレミアリーグへの移籍を奨励した。
特に06年あたり、自国のW杯以降、伸び悩んだシュヴァや、ラーム、ポドルスキなどは、バイエルンやケルンを出るべきだと思っていた。ブログに書いたかどうかは忘れたが。
今思えば、バラックのチェルシー移籍は正しかったとも言える。が、ちょっと遅かったよね。30歳だったからね。
ラームはマドリーが狙っていた数年前に移籍していれば、もっと伸びていたはず。
シュヴァはその頃具体的なオファーはなかったと思う。ポドルスキにしても、ブレーメンとバイエルンくらいだった。
で、シュヴァはモウリーニョのマドリー監督就任で、マドリーへの移籍の可能性がかなり高まったのに、バイエルンとの契約延長をした。
ファンハールが監督時であれば、それでも良かったかもしれないが、ファンハールは解任された。
で、よりによって来季からハインケスが就任だ。
なので、シュヴァに対しては「アホ!!!!!」と言いたい。今更遅いが。
オレがバイエルンのGMなら、マインツのトゥヘル監督を取りに行く。ドイツ語は話せないが、英語は話すベニーテスでもいい。
あの時クロップとの合意を反故にしなければ・・・と言ってももう遅いから、レヴが代表監督を辞めるタイミングで、彼にアプローチをしてもいい。
ただ、どっちにしても、バイエルンはファンハールで変わるかもと思ったし、実際変わったのに、なんでハインケス・・・・。いっそのこと、チェルシーも欲しがっているヒディングを奪うのはダメか?
どっちにしても、シュヴァはさらに伸びるチャンスをフイにした。12ー13シーズン前が、移籍のラストチャンスだろう。バイエルンがハインケスから別の監督に変えなければ、シュヴァはその程度の選手で終わる可能性が高くなった。
あーあ、もったいない。

でも、今、プレミアリーグへ移籍は勧めない。
行くなら、スペイン。バルサかマドリー。
プレミアリーグは2年くらい前がピーク。今後落ちてくる。多分。
ドイツにとどまる方が、おそらくいい。
今一番勢いがあるのは、ブンデスリーガだ。ハインケス就任のバイエルン以外は。
ま、プレミアリーグは、さらなる外資の投入で、再び上昇する可能性もなくはない。
でも、自ら変革し、その成果を出し始めたドイツの方に、オレは賭けたいね。
BVBの優勝は、その第一歩だ。

追記
ハインケスがダメな監督だと言っている訳ではないです。バイエルンにとってベターであってベストではない、と言っているだけ。
現状維持で、バイエルンに変化を起こす監督ではないということ。
彼がバイエルンの監督だったのは、80年代末から90年代始め。70年代のバイエルンとボルシアMGの黄金期を築いた(BMGでは故へネス・バイスバイラーの築いた黄金期を維持)ウド・ラテック(第二政権)の退任後。
上記したとおり、ドイツ人選手の国外移籍がもっとも盛んだった時期にあたる。また、スター選手の国外移籍で、国内リーグが危機的状況にあった時期でもある。
04ー05シーズンにシャルケの監督を成績不振で解任された後、(良平さんいわく)「最後の奉行」としてボルシアMGの監督に就任したものの、うまくいかずに、監督業を引退していた。
それを、数ヶ月の暫定でいいから、とウリGMが現場復帰を促した。
経緯を以前も書いたが、92年91年に成績不振による解雇を、ウリがメチャクチャ後悔していて(あの時ユップを解雇したことが生涯最大の後悔だ、と後日語っている。その後の90年代のバイエルンの迷走ぶり=監督が1年持たない、がそれを物語る)、その後悔を形にしたのかな、というのはオレの勝手な想像だが。
レヴァークーゼンではいい仕事をしたと思うが、やはり変化を起こす監督ではないな、というのがオレの感想。

さらに追記
ラームはもう無理だから、若いクロースや、ミュラーに関しては、もし国外移籍のチャンスがあるならば、行ってもいいと思う。
大丈夫。
マテウス(ボルシアMG→バイエルン→インテル→バイエルン)や、監督殴ってクビになったエッフェンベルク(ボルシアMG→バイエルン→フィオレンティーナ→BMG→バイエルン)でさえ、必要な戦力とみなされれば、バイエルンは呼び戻す。
戦力外になった選手をそのままにせず、必ず移籍先を決めている(オットルとクラフトはヘルタヘ移籍が決まった)。
在籍中にアビトゥーアを取らせたり、職業訓練受けさせたり、プロとしてのキャリアが閉ざされても第二の人生を歩けるよう、バックアップも万全。
若くして引退したダイスラーは、ウリGM(当時)のバックアップで、スポーツセラピストとして、第二の人生を歩み始めている。
アル中になったゲルト・ミュラーに、コーチの仕事を与えて立ち直らせたクラブだ。
一度関わった選手を切り捨てたりはしない。ウリがクラブにいる限り。
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テーマ:ブンデスリーガ(ドイツサッカー) - ジャンル:スポーツ

  1. 2011/06/09(木) 12:43:41|
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海外リーグではドイツが東西に分かれていた時からブンデスリーガを応援してます。

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